明治の頃の菅島燈台・官舎

菅島は鳥羽市の沖に浮かぶ離島で、燈台は集落の背後に続く小山を超えた東傾斜面、眼下に伊勢湾口の眺望が広がる大地の先端に建っていて、この付属官舎と倉庫は、燈台の後方に隣接していた。

燈台は瓦造円型白色塗で、点灯は明治6年7月1日であり、この官舎と倉庫も同時に建設されたものである。

この官舎が瓦造の洋式住宅の形式で建てられているのも、当初は外国人の職員が住んでいた為と言われています。邦人の職員と交替してゆくのは、明治10年頃からである。邦人の燈台守が官舎に住むようになると、島の人々との交流は一層親密になって、職員の奥さん方に裁縫を習う娘達がここに通ってくるなど、この官舎は長い間島民達に親しまれてきた建物であった。

この建物に使われている煉瓦と瓦には、製造者の屋号が刻印せれている。いずれも三重県志摩市渡鹿野島の瓦屋・竹内仙太郎が焼成したものである。

第2次大戦後、燈火を自動的に管理する方法がすすみ、菅島燈台も昭和28年8月から無人化されました。その後昭和38年愛知県犬山市の明治村が払い下げをうけ、建築当初に近い状態にて保存しています。

工部省沿岸報告:大蔵省:明治20年。「明治六年七月一日、志摩国鳥羽湾口ノ菅島ニ燈台ヲ築キ、第四燈器ヲ装置シ、本日ヲ以テ点火ス。該島ハ鳥羽湾ニ近接シ、伊勢湾口ニ在テ大小ノ島嶼其近傍ニ散布ス。而シテ遠州洋熊野海ヲ航海スルモノ風雨ノ難ヲ避ルニ必ス鳥羽湾ニ碇泊シ、晴ヲ待チ風ヲ卜スルノ処トス。故ニ往時茲ニ篝火堂ノ設ケアリタリ。今此燈台ヲ以テ之ニ換フ」。

( 明治村建造物移築工事報告書より抜粋)

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